2009年12月04日

あたまくら

自転車通勤復活。

お尻が痛い。2日後くらいにふともも、ふくらはぎが痛くなるでしょう。

、という予報、予想、予言。

−−−

最近8時過ぎには、会社来ている。

−−−

時代劇によくある、

「苦しゅうない」

という言葉はよく考えると変だ。

たとえば、会いたくない、どっちかっていうと苦手な、その人と対面すると緊張する、そんな相手に会うとき。

「やだな」

と思うだろう。それはどちらかというと苦しい時間だ。

にも関わらず、その当の相手が、

「苦しゅうない」

と言ってくるのだ。言うなればそれは、

「お前は、いま苦しくなんかないぞ」

そう決定されるわけだ。自分の心のうちを、ありようを相手によって決断言されてしまう。

それほど苦しいことがあろうか。

「だからいやなんだよ、こいつ」

「苦しゅうない」という言葉を発する人と会うことは、だから苦しい。そういうことだと思う。

といいつつ、ぼくは、追い込まれたとき(というかぼくは、とかくよく追い込まれたり、自分からハードな状況に近づいていくわけだが)

心の中で、

「苦しゅうないぞ、クキタ」

とよくつぶやいている。

−−−

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2009年11月29日

よくある話

仕事に来たはずが、日記書いて帰る。

−−−

ときどきぼくは思うんだ。

ぼくってやつは、おしゃべりで、自分に関することは何だって特別だと思っている自己チュー野郎なのではないかと。

たとえば、仕事で遭遇した不条理なこと。

そんなことを日記に書いたり、飲んだ席で話したりばっかしている。

でもきっと、どんな仕事をしていても、不条理なことのオンパレードのはずだろう。

きっとだから、聞いている人からすると、

「どうしてそんな当たり前で、誰にでも起こっていることを、この人はさも自分だけに特別な出来事のように、得々と話すのだろう」

と、こうなるわけだ。わかってる。いや、わかってませんね。

そう、きっと普通によくあることなのだ。ぼくに起こることなんて。

休日の桂浜で仕事していたら、

「もしかしてクキタくんじゃない?」

と声掛けられて、それが中学・高校時代の同級生で、しかもぼくのことどうやら好きだったらしい子で、かつぼくはそれを察知してかわし続けていた子で、その子が、

「明日休み取るから今晩飲もうよ。どうせ最後だしいいじゃん」

とか言って、番号教えてきて。

そのあと仕事が一息つけたところで、携帯をチェックしたところ、登録を完了していなかったらしく連絡先が消えていた、だから、

「あーおれこれ、まさに人でなしだよねー。サイテーですね」

と思って夜一人仕事終わりにご飯しようと思っていたら、見知らぬ番号から電話があり、出てみると、彼女であって、さあ、ご飯食べようと。

「れ、れ、どうしてぼくの番号を知っているのさ」

そう、思ったけどね。

飲んだわけです。

−−−

たぶん、そんな話誰にでもあるよね。

あの大勢の観光客でにぎわう、桂浜で

「声でわかった」

と言われたり、飲んでて、

「1月19日でしょ(誕生日)」

と言われたり、

「一度覚えたら忘れないんだ」

と言われて「ていうか、なんで一度覚えたんだ?」

と思ったり、そんなことは誰にでもある話だけど、

近々、ぼくと飲む機会があった人は、たぶんこの話を得々と語るクキタがいるので、覚悟しておいてください。

posted by くっさん at 14:37| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年11月20日

休憩も壊れるも同じブレイクさ

ちょっとあれだ。

−−−

そう、ぼくはカート・コバーン。

言うなれば。

無軌道な生き方をしている。

「アイツは生き急いでいる」

そんなことを言われかねない。

「刹那的」

そんな形容詞が似合うかもしれない。

気分はボニー&クライド。そんな感じだ。

−−−

刹那的に仕事をしている。

−−−

先週のコンパ終わり(こんなに忙しいのにコンパしたのだ!翌日朝6時から出張だったけどね)にした会話がいまさらのように面白い。

「鍋でもしたいね」

「じゃあまた今度」

誰も連絡先交換していないけどそう言った。

道でばったり遭遇したら。

やりましょう。

−−−

鍋はしたいけどな。
posted by くっさん at 21:00| Comment(1) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年11月01日

これでメル友

紅葉狩り行きたい。

−−−

つい数年前までこの言い回しを知らなかった、ぼくではあるが。

初めて聞いたときは、落ち葉でも拾ってくるのかと思ったね。

知ってみると、その乙な言い回しに俄然言ってみたくなる、もとい行ってみたくなるやつ。

−−−

高知県いの町と愛媛の県境に瓶ヶ森(かめがもり)というとこがありまして。そこに林道が走ってまして。別名UFOラインなどと呼ばれています。

仕事で夕方日暮れ前にそこまで行った。

もうだいぶ紅葉してて、すげーきれい。でも、仕事だと、なーんか違うのよね。着いて30分で日が暮れたし。

−−−

よく「何事もなかった」という言い方をするけれど「何事」ってなんだろうか。

そもそも「何事」って言葉を口にすることが、ほとんどない気がするのだ。

思い浮かべてみるに、ドラマとかで偉い人が、

「いったい何事だっ!」

と叫んだり、

時代劇で討ち入りにあった殿様が、

「何事じゃ」

とお付きの者に聞いたり。

それらの事例を参照するとすれば、なんとなく、偉い人の耳にまで届く重大事案が発生したときに、

「何事」

は生じるのではないか。

だから「何事もなかった」とは、正確に表記するのなら、

「『何事』もなかった」

なのだ。たとえ大なり小なり問題が発生したとしても、上司の耳に入りさえしなければ、上司による「何事」は発動しない。

「何事もなかった」

とはつまり、上司による「何事」を発生させなかった、そのことを喜ぶ言葉なのだ。

先導役として行ったのに道知らなくて、2度も入り口間違えたり。

瓶ヶ森で車1台分の幅しかない、切り立った斜面の道を、紅葉狩り帰りの車がびゅんびゅん帰っていく中、逆行したり。

「いいポイントを見つけたら車停めて写真を取りたい」という、仕事相手の車を先に行かせたら、あっという間にちぎられたり。

帰りに真っ暗になってしまって、死ぬ思いで帰ってきたり。

そんなことは報告する必要のあることだろうか。いや、ない。

明日ぼくは晴れやかな顔で言うだろう。

「何事もありませんでした」

と。

−−−

そんなぼくでも、

「何事だ」

と言いたくなるような話。仕事のアドレスにメールが入っていた。

いわく、

「あんたの彼女どうにかせえ」

「お前もお前だ」

「口ばっかうまくて、誰にでも好きとか言って、うちのことも好きとか言ってるらしいけど、もう知るか。死ね」

「二酸化炭素が増える」

「今まであった男でダントツに最低や」

「言いたいことあるならメールじゃなくて、電話してこい(携帯番号)」

とばりばりの土佐弁で送ってきたわけです。

ってどうなのさ。

あたくし、ここんとこそのような方とのお付き合いは生じていないはずですが。

だが、あれだ。

激烈な文章で罵倒されると、

「ひょっとしてぼくが何かしただろうか」

「覚えていないが、そんな子がいたかもしれない」

「ひょっとして条件は合わないがあの子のことかもしれない」

とか、一瞬思いそうになるぼくは、きっと逮捕されたらなんでも自白しそうだ。

あるいは、ぼくを騙ったヤツでも出没してるのか、とか、ひょっとして前任者の悪行か、とか、いやいまのうちの職場の誰かか、とか。頭の中でいろいろな悪い想像が膨らんだ。

そしてしばらくして、「あでも、高知で出回ってるスパムとかかも。開いちゃまずかったか」とか思って、別の意味で怖くなって、ダメ元でメールアドレスを検索してみたら。

出ちゃったのだ。

某私立女子中の生徒のブログが。

どうもですね、その子はこの間、高知で撮った映画のエキストラに参加したか、参加しようとした子じゃないかと。思われます。ブログにもそんな話が出てまして。

で、どうもブログの内容から察するに、内容嘘のいたずらメールとかじゃなくて、ほんとにその子に起きてることのようで。

となると、残る可能性は。

・送り先を間違えた。

・その男に送ろうとしたけど、思いとどまった。でも、はけ口がなくて、たまたま知ってた(しかもたぶんエキストラ抽選で落としたりされた)メールアドレスに送りつけた。

・その最低男はうちの職場にいて、腹いせに送った。

−−−

最後の1個じゃないといいですね。
posted by くっさん at 15:03| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年10月28日

で、こんな話。

おお帰れる。

−−−

あんまり更新できないまま、今月も終わろうとしている。

「これ書こうかな」とか思うことが、ここ最近いくつかあったのに結局書けていない。

まあ「何々があった、楽しかった」というよりは、自分のなかの思いつきとか、変な発想とかだ。

本読む機会が多かったせいかもしれない。影響受けやすいですね。

でも「忙しい」とばっかり書いて、特に書くこともなかった最近とは違う波長になってきた気がする。個人的には、そういうときのほうの日記の方が好きだ。

ただ、それは、あれだ。一人が長いときの波長だ。

そうして、これだけ書いているが、その当の「面白いと感じた話」はさっぱり思い出せないのだった。

−−−

宮沢章夫さんの本を2冊も買ってしまった。

「チェーホフの戦争」

「資本論も読む」

チェーホフもマルクスもまったく興味がないのに購入したのは、一重に宮沢章夫さんの文章が好きだからだ。

「だめ」であることを愛でる、肯定する姿勢というか。

きっと、バブルから90年代前半にかけてのサブカルチャーであり、いまメインカルチャーに近付いているところの、みうらじゅんとか、いとうせいこうとか、しりあがり寿とか、とか。

つまりもはや、モードではない気がするけれど。

それでも、あの頃に端を発している「だめ」で「だらだら」した感じというのは、表現として根強く支持を受けているように思う。

少なくとも、ぼくは根強く好きだ。というか、結局その世代であり、そこに帰っていってしまうということなのかもしれない。

「資本論も読む」は、宮沢さんが「わからない、わからない」と言いながら資本論と格闘していく本だ。

いくたの解説書があり、専門家がいながら、経済学には素人の劇作家が煩悶しながら資本論を読み進めていく。ただそれだけの本が、本として成立しているのかはぎりぎりのラインだ。たぶん「どうみてもアウト」という評価を下す読者もいるだろう。

ただ、ぼくは思う。

だめだだめだ、と言いながら、宮沢さんは劇を作り、エッセイを書き、小説を書いている。

全然だめじゃない。

「だめ」を表現することは難しい。

それは、「表現する」という、本当に「だめ」な人にはできないことをする行為だからだ。

−−−

こないだTVで

「シュレッダーにかけた書類をトイレットペーパーに再生できる画期的な機械」

というのが紹介されていた。

そしてその機械の第1号が地元の市役所に納品されたのだそうだ。職員のシュレッダーごみを再利用して、市民にトイレットペーパーを無料配布するらしい。

これはあれだ。

「まさにお役人が闇にほうむったものを、地域住民に尻拭いさせるということですね!」

と、職場でこの話になったとき(補助金で何買おかって話)言わないだけの知性が残っていてよかった。

疲れがピークだとね。

いろいろおかしなこと言いだすからね。我知らず。

posted by くっさん at 20:27| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年10月17日

以心伝心

ソー・ビジー。

−−−

この忙しさも今日で一段落しそう。といっても、少し前のCMじゃないけど、

「終わらない仕事はない。また次の仕事が始まるだけ」

ってやつなんでしょうね。

−−−

最近ヒップホップに目覚めた。ぼくには似合わない気がするが車の中でかけるとちょうどいいのだ。

ここ2週間くらい聴きまくっている。

つまりレンタルしたまま、既に1週間延滞している。

返しにいける時間がないのだ。

先日、そうやって音楽を聴きながら帰っていると電話がかかってきた。地元の友人からだ。

かかっている音楽を聴いて、

「なーにー。クキちゃん音楽聞いてんの。んだよ、スチャダラパーか??」

と聞いてきた友人。

ぼくは答えた。

「そう!よくわかったねー」

この以心伝心っぷり。嬉しくなるじゃないか。

しかし、彼は言った。

「何?マジで言ってんの」

と。

いわく、柄にもなくラップっぽい音楽聞いてるぼくを揶揄するつもりで「スチャダラパー」と言ってみたらしいのだ。

んだよ、「ヒップホップとか聴いちゃってます」とか言いやがって。いまっぽい感じ出してるけど、あれだろ、スチャダラパーみたいなやつだろ。

みたいな。

「せめてリップスライムとか聴け」

「いーじゃんスチャダラパーいま聴いても」

と言いあったぼくらの感覚が、更に加齢臭を発していないだろうか。

−−−

でも、いーよスチャダラパー。







posted by くっさん at 12:13| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年10月14日

げんき

なのに、ここんとこの癖で書くことが暗い。

−−−

すごく上手で、人柄もいい感じの美容師さんに髪を切ってもらった。

それだけに、しみた。

ぼくの頭、形が変で、髪の生え方も変らしい。

とてもやさしい感じで、

「形になりにくい頭ですね」

と言われる水曜日の朝。

−−−

死んでしまうこと、会わ(会え)なくなること、連絡も取らなくなること、思い出さなくなること、忘れてしまうこと。

違いはなんなのだろう。

どうやったって会えない人なんてたくさんいる。連絡を取れない人だってたくさんいる。

もう会うことのかなわなくなった存在。出会ったことすら忘れてしまった人たち。

ぼくの世界から意識的に、無意識に、たくさんの人を消滅させた。ぼくにわかるのはぼくの認識する「世界」だから、そこにいなくなれば、その人は死んだに等しい。

そう思うと、ぼくはどれだけの人を死んだも同然にしてきたのだろう。

ぼくは大量殺人者だ。

「生きていればまた会える」

と誰かがうそぶくかもしれないけど、

それって「可能」ってことだからね。

「やろうと思えばできる」

「いまやろうと思ってたのに」

そう言って人ってみんな死んでいく。死んだら、ぼくの世界も終り。その瞬間にみんなも消えちゃうのだ。

−−−

さて、ぼくは何千回、殺されているのだろう。



posted by くっさん at 21:45| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年10月13日

限界までいけんかい。

働きまんですか。

−−−

秋は物悲しいなどとよく言いますが。

ぼくだって切なくなることもある。これも秋のせいだろうか。

たとえば今日だ。

お昼に食べたラーメンのマズさ。

どう考えても、いつか潰れる。麺がまずい。具が少ない。味もよくわからない。のに、高い。

どうしたらこんなにまずくできるんだろう。

物悲しくなるのだ。

そしてそこにきらきらの、けどぺらぺらの笑顔で働く人たちがいる。潰れちゃったら、どうなるんだろう。そう思うと。

物悲しいじゃないか。

−−−

けれど世の中には、もっと物悲しくなることもある。

たとえば。

お酒を飲んでたわけでもないのに、書いた覚えのない日記が真夜中にUPされてるのを見つけたときとか。

誰だ、ノーリミテッドくーちゃんとか書いたのは。

まあ100パーセント、意識飛びかけの自分ですが。



posted by くっさん at 00:14| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年10月11日

ノーリミテッドくーちゃん

もう今日は帰らない。

こんな働き方をしているのはいいことなのかもしれない。今は。

−−−

なんとなく元いた場所に戻ってきたところで、2つほど。たぶんきっと戻ってきたからこそ、話があって。

ほんとはそういうことってきっと合図なのだ。大事にするべきなのだ。

どこかに向かっていくのであれば、向かっていくべきなのかもしれない。そこへ。

でも、返事をしそびれてしまうのだった。

嗚呼、よくわからないですね。脳みそに鉛の覆いがかぶさっているかのような頭の働き。何書いているかわかりませんねん。

−−−

さびしくなったわけじゃない。

だって生まれた時からずっとさびしいのだから。



posted by くっさん at 02:05| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年09月26日

ワーキングホリデー

タイミングって大事マンブラザーズバンド。

−−−

息が合う・合わないってあると思うのだ。

この人は、電話に出られないときに限ってかけてくる、とか。

それはお互いのせいなのか。それとも比率的にはどちらか片方により責任があるのか。

片方に責任があるとすれば、それは単純にその二人の関係においてだけ、なのか。あるいはそのより責任のある片方は別の場面においても息が合わないっぷりを発揮するのではないだろうか。

個々の1対1の関係に分散されている「息が合わない」状態。それを集約すればその中心に「息が合わない」事象を出現させる発生源のような人間がいる。それがぼくかもしれない。

というようなことを考えている。まあ、そこまで真剣ではなく。

ただね、だからだろう、と思うのだ。

こんなずぶずぶ二日酔いなのに、断れない飲みの誘いを受けるのは。






posted by くっさん at 19:30| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする