2009年10月28日

で、こんな話。

おお帰れる。

−−−

あんまり更新できないまま、今月も終わろうとしている。

「これ書こうかな」とか思うことが、ここ最近いくつかあったのに結局書けていない。

まあ「何々があった、楽しかった」というよりは、自分のなかの思いつきとか、変な発想とかだ。

本読む機会が多かったせいかもしれない。影響受けやすいですね。

でも「忙しい」とばっかり書いて、特に書くこともなかった最近とは違う波長になってきた気がする。個人的には、そういうときのほうの日記の方が好きだ。

ただ、それは、あれだ。一人が長いときの波長だ。

そうして、これだけ書いているが、その当の「面白いと感じた話」はさっぱり思い出せないのだった。

−−−

宮沢章夫さんの本を2冊も買ってしまった。

「チェーホフの戦争」

「資本論も読む」

チェーホフもマルクスもまったく興味がないのに購入したのは、一重に宮沢章夫さんの文章が好きだからだ。

「だめ」であることを愛でる、肯定する姿勢というか。

きっと、バブルから90年代前半にかけてのサブカルチャーであり、いまメインカルチャーに近付いているところの、みうらじゅんとか、いとうせいこうとか、しりあがり寿とか、とか。

つまりもはや、モードではない気がするけれど。

それでも、あの頃に端を発している「だめ」で「だらだら」した感じというのは、表現として根強く支持を受けているように思う。

少なくとも、ぼくは根強く好きだ。というか、結局その世代であり、そこに帰っていってしまうということなのかもしれない。

「資本論も読む」は、宮沢さんが「わからない、わからない」と言いながら資本論と格闘していく本だ。

いくたの解説書があり、専門家がいながら、経済学には素人の劇作家が煩悶しながら資本論を読み進めていく。ただそれだけの本が、本として成立しているのかはぎりぎりのラインだ。たぶん「どうみてもアウト」という評価を下す読者もいるだろう。

ただ、ぼくは思う。

だめだだめだ、と言いながら、宮沢さんは劇を作り、エッセイを書き、小説を書いている。

全然だめじゃない。

「だめ」を表現することは難しい。

それは、「表現する」という、本当に「だめ」な人にはできないことをする行為だからだ。

−−−

こないだTVで

「シュレッダーにかけた書類をトイレットペーパーに再生できる画期的な機械」

というのが紹介されていた。

そしてその機械の第1号が地元の市役所に納品されたのだそうだ。職員のシュレッダーごみを再利用して、市民にトイレットペーパーを無料配布するらしい。

これはあれだ。

「まさにお役人が闇にほうむったものを、地域住民に尻拭いさせるということですね!」

と、職場でこの話になったとき(補助金で何買おかって話)言わないだけの知性が残っていてよかった。

疲れがピークだとね。

いろいろおかしなこと言いだすからね。我知らず。

posted by くっさん at 20:27| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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